唱歌のお話その1 | |
朧月夜 詩:高野辰之(1876-1947) 曲:岡野貞一(1878-1941) 大正三年発表 尋常小学唱歌 菜の花畠に 入日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし 春風そよふく 空を見れば 夕月かかりて にほひ淡し 里わの火影も 森の色も 田中の小路をたどる人も 蛙のなくねも かねの音も さながら霞める朧月夜 匂い淡し:「にほひ」は、色・艶などのこと。朧に霞んだ風景を現している。 里わ:里曲、里廻、里回などと書く。人里のある辺りの意 春の風景を歌った曲です。 菜の花の開花時期は、2月から5月。都内でも暖かければ3月より前に開花することもあるようです。作詞者(長野県出身)がどこの風景を想定して詩を書いたかは、はっきりとしていませんが、小学唱歌として作歌されたことを考えると、おそらく関東地方ではないかと思われます。 ・朧とは「ぼんやりと薄く霞んでいるさま」を表す。春の季語 ・朧月夜も春の季語 ・霞(かすみ)も霧(きり)も自然現象としては同じものですが、俳句の世界では、 霞:春の季語 霧:秋の季語 です。 「霞たなびく」と言えば春、「狭霧消ゆる」とか「霧深し」とくれば秋 など、ふんだんに「春」を示す言葉が使われています。 注目するべきことは、後述する「故郷」と同じように、文部省(現・文部科学省)唱歌として作られた曲であることもあり、難解な漢語を排し、平易なやまとことばで歌われているところです。 一番、二番ともに、まったく同じ拍数(モーラ)で書かれており、歌詞の当て方をまったく変えずに曲を通して歌うことができます。 なのはな ばたけに いりひ うすれ さとわの ほかげも もりの いろも いずれも 4拍、4拍 3拍、3拍 これが曲の最後まで続く また、言葉のアクセントと旋律の高低も、一番、二番を通して同じです(標準語として)。 一番は夕暮れ、日が沈みかけた頃の情景。西の空にまだ日の光が残っていて、空を見上げると朧に霞んだ月が昇っている。 二番はすっかり日が暮れて、遠くに里の灯り、田んぼの中に提灯などを持って歩く人の影、それに淡く霞がかかったような情景を描いています。 さらに二番は、視覚的な情景(火影、森の色、人の姿)から、さらに夜が深まって聴覚的な情景(蛙の鳴く音、鐘の音)に移り変わっていきます。 淡い月の光、朧に霞んだ風景、そういったものが想起されるように、決して硬くならないよう、拍節感を出さないように、美しいレガートで演奏したいものです。 ちなみに、二番の「さとわの ほかげも もりの いろも」は「里曲の火影も 森の色も」です。「ほかげ」は「稲穂の影」でも、ましてや「帆影」でもありません。春に稲は実りませんし、お船もたぶん関係ありません(^^;)。 子供の頃、平仮名で読んで、耳で聞いて覚えていた歌に、意外な勘違いがあったりして、大人になってからびっくりすることがあると思いますが、これもそんな勘違いし易い言葉の一つですね。 しかしここでもう一つ大事なことが。 聞き覚えて勘違いしていたということは、我々の演奏を聞いてくださるお客様にも「つたわり難い言葉」であるということです。 この他にも、同じ母音が重なる言葉や、裏拍から流れてくる言葉が幾つもあります。聞いてくださる方の目の前に、詩の風景があらわれるように、言葉を大切に演奏しなければいけませんね。 それから。 「火影」を見ることも最近では少なくなってきました。これは、暗闇の中で蝋燭の明かりを障子越しに見ているような感じ(ちらちらと動く灯り)なのですが、もし蝋燭をお持ちでしたら、提灯とか和紙に透かしてみてみるといいと思います(←火の元注意)。蝋燭はちょっと家にはないな、という方は、代替として、和紙などでできた行灯風ランプを見てみるといいでしょう。 真っ暗な中にぼんやりと浮かぶ灯りを見ていると、この曲の(特に二番の)情景が浮かんでくるかも知れません。 |
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朧月夜はどんな月? ちょっとだけトリビア的なお話を。 その1 これは一体何月頃の風景? 関東地方の菜の花の開花時期と言っても、房総半島の先端と武蔵野の奥ではまったく違うでしょうし、「いつの時期が正解です」という訳ではありません。 みなさんそれぞれの「菜の花が咲いているころ」のイメージで結構なのですが。 二十四節気という言葉をご存知ですね?立春とか夏至とか冬至とか、春分、秋分などは今でも頻繁に使います。元々、太陰暦と太陽の運行のずれを補正する目的で、少しずつ整えられていったもののようですが、一年を二十四等分して、それぞれの季節を現します。 それで言うと、今(2007年2月22日)は雨水(うすい)という時期に当たります。 「立春」と「啓蟄」の間の時期。雪が雨に変わり、地上では雪解けし始め、春一番が吹く。 鶯が鳴き始め、霞がたなびき出す。 ちょうど、「朧月夜」や「早春賦」で描写されている風景と似ています。 実際に、2月19日前後に菜の花が咲いているのが大正時代の東京でスタンダードだったかとか、長野県安曇野の風景を歌った「早春賦」ならもうちょっと後の時期だろうとか、いろいろ細かいことはありますが、とにかく目安として、「ものすごく暖かくなって、もう春爛漫!」というよりは、その少しだけ前の時期と考えるのがよいようです。 ちなみに「上巳の節句(桃の節句)」に、桃と一緒に菜の花を飾ることもよくあるようです。 ということで、「朧月夜」を歌う時には、2月下旬から3月上旬くらいの時期をイメージして歌ってみましょう。 その2 朧月夜の夜の月齢は幾つくらい? 子供の頃この曲を歌った時は、なんとなく「満月が南中していて、それに朧雲がかかっているときれいだなあ」と思っていました。唱歌といえば何となくまん丸お月さんのイメージがあったこと(十五夜お月さんとか)から持っていたイメージかも知れません。 しかしこの曲について考え始めてから、考えが変わりました。 これにも絶対の正解はないのですが(作詞者本人が書き残したものがあれば別の話です。私は寡聞にして知りません)、どうもこれは満月ではないようです。 では、いったいどんな月なのでしょうか? 小学校の理科で勉強したと思いますが、 夕方に月を見ることができるのは、だいたい月齢1から15までの間 だけです。 満月(十五夜、望)以降、月の出はどんどん遅くなります。毎日、数十分単位で後ろにずれます。 満月以降の月を別名、十六夜(いざよい、既望、不知夜月)、十七夜(立待月)、十八夜(居待月)、十九夜(寝待月、臥待月)、二十夜(更待月)などと呼び習わすのはそのためです。 さらに月齢が進むと、月は明け方に見られるようになります。いわゆる「有明の月」です。 ということから考えて、月齢15より大きいことは絶対にありえません。地球に住んでいるのならば(笑)。 「菜の花畑に入り日薄れ」る時刻に、同時に月を見ることができるのは(新月および、月齢1〜2は観測困難なことを考慮に入れて)、三日月から満月の前くらいまで。 そして、詩の情景からおそらく、空を「見上げて」いると考えられるので、これはどうやら、夕暮れの時刻にすでに地平線よりは高くあがっている月だろう。 さらに、おぼろに霞んでいても月があるのが見えるということで、ある程度は太った月なのではないか。 もうひとつの重要なヒントは「夕月かかりて」という言葉です。夕月という言葉は、俳句では秋の季語です。まあこの場合はそのような意味で使っているのではなく、一般的な意味の「夕方にあがっている月」のことだと思われます。 そして、この夕月という言葉は、「月齢1〜7の月」を指すということです。もっと限定して、「三日月の別称」として使う場合もあります。 そういうことから、朧月夜の月齢は、三日月(月齢約3〜4)から上弦の月(月齢約7〜8)くらいではないかと考えられるのです。 (もしかしたら、「これは三日月である」と限定する解説文もあるかも知れません。もう少しいろいろ調べてみます) どちらにしても、煌煌と明るい月夜ではなさそうですね。 ちなみに。 有名な与謝蕪村の俳句 「菜の花や 月は東に 日は西に」 の場合は、日没時=月の出なので満月なのではないかと私は思いますが、いかがでしょう? (2007.02.22初稿) (2007.02.23夕月の記述を改版) |